朝日新聞論説委員 伊藤宏先生に学ぶ「政治とメディア」

 2023年2月2日、伊藤宏先生(伊藤さん)に茨城大学にお越しいただき、講演会を開いていただいた。テーマは、「政治とメディア」。本編は三部構成で行われた。

 伊藤さんは、朝日新聞入社後、政治部で首相官邸、自民党、3外務省などを担当し、政治部次長に。2009 年からアメリカ総局員として、オバマ政権、日米関係、大統領選を取材。 その後、水戸総局長などを経て、2021 年から論説委員として政治、外交・ 安全保障を担当している。

 村上先生とは、 水戸総局時代から 10 年近いお付合い。ゼミ生たちも講演会や研究の相談など、様々な場面でお世話になっている。7期の年間研究「報道はオウムの暴走を止めることができたのか 同時代記者 100 人の証言」や8期の年間研究「常陽新聞廃刊 そのインパクト 市民が失ったものは」では、何度もご助言をいただいた。強気な姿勢のゼミ生と意見を対立させることも、しばしば。しかし、「村上ゼミ生と意見を交流することで、若者がどのようなことを考えているかを知ることができる。刺激になっている」と伊藤先生は話している。

 講演会に先立ち、村上先生と伊藤さんは、村上ゼミ恒例の「打ち合わせという名の…」を開催。場所は、門前仲町にある「もつ焼き 吉田」。なかなか予約できない人気店を村上先生が手配した。打ち合わせには、ゼミ生の(当時)4年(10期)宮下楊子、(当時)2年(12期)藤岡美羽も参加した。打ち合わせ時間は、3時間を上回った。

 しかし、楽しいだけで終わらないのが、村上ゼミの打ち合わせである。講演会の流れを確認するため、先生は台本を用意。講演会に関連して、日本の新聞の現状、アメリカと日本の取材の違いなど、具体的に話し合った。

 一方、伊藤さんが、ゼミ生に対し、「今の若者は、どのように情報を手に入れているのか?」と好奇心から問いかける。藤岡は、「プロの方は、常にアンテナを張っているのだと知った。打ち合わせから、熱いお話を聞くことができた」と振り返っている。


第 1 部  講演 「政治とメディア」

 第1部は、伊藤さんの経験をもとに行われた、政治とメディアの関係がどのように変化してきたのかについて、政治取材の方法に関する講演。

 まず、政治取材は基本、「番記者」=マンツーマンが基本であることから学んだ。記者は、政治の中心となる政治家に四六時中ついて歩き、彼らの思考と行動を徹底的に分析する。駆け出しの記者は、体力面や取材内容から首相を監視し続ける首相番から始まるという。

 取材した首相の行動は、新聞の「首相動静」にまとめられる。時間帯や、周りの動きから様々なことが推測できる。

 続いて、伊藤さんは政治取材の方法の変化について話した。かつては首相が歩いている間、横について質問をしながら歩き、そこで聞いたことをすぐに発信していた。首相の発言がリアルタイムに発信されていたのだ。首相番は、首相が外出するときだけでなく、会議の出入りにも張り付く。伊藤さんはこの取材方法に対し、「疎ましく思っている政治家も多かったと思う。しかし、昔は、SNSなどもなく、首相が自らの言葉を国民に届けようとすると、かなりの部分をメディアに頼らざるを得なかった。メディアが相対的に強かった時代」と話す。

 しかし、小泉首相が、横について質問をするという記者の形を変える。取材は小泉首相の提案により、横について質問する形ではなく、1日2回、立ち止まって記者団の質問に答える「ぶら下がり」取材になった。その後、ぶら下がり取材は、「1日1回」や「一時的な取りやめ」など、形を変えていき、第2次安倍政権で正式になくなった。

 そして、首相自身がSNS等で自ら発信するようになり、国民にストレートに発信できるようになった。そのさきがけも、安倍首相ではないかと伊藤さんは指摘する。

「伝統メディアの衰退・SNSで容易に発信ができるようになったこと。この2つが大きな原因で政治取材の方法は変化した」

 

第2部 シンポジウム「『報道』は誰が担うのか」

 第2部のシンポジウムでは、村上先生も登壇して「報道は誰が担うのか」について取材空白域を切り口に、現状や、今後どのようにしたら良いのかなどを考えた。

 まず、村上先生から「取材空白域」について説明があった。

 「取材空白域」とは、報道機関が消え、報道が空白となる地域のことである。アメリカ では 2004 年、8891 紙あった地方紙が、17 年間で 3 割近い 2514 紙が廃刊に追い込まれてい る。(2022 年 6 月、イリノイ州のノースウエスタン大学発表)。さらにコロナ禍で広告出稿が 44も 激減。“砂漠”はさらに拡大と懸念されている。

 村上先生は、日本では、アメリカのようにぽっかりと穴が開く「取材空白」ではなく、徐々に取材が減っているのではないかという「取材希薄」の可能性を指摘している。

 伊藤さんは説明を受け、「日本は、取材空白域(希薄域)の現状に対して、危機感が少ない」と指摘。日本では、少しずつ取材される場所が減っているので、住民がその変化や危機に気が付きにくい。誰も監視がない状態で、苦しくなるのは市民である。このような、監視から外れて不正をしてしまうことが起きないためにも、空白域の問題に直面する必要がある。

 続いて、ネットメディアとの付き合い方について議論が交わされた。「今後、新聞、テレビの力が相対的に落ち、ネットメディアが発展するのは避けられない流れ。その中で、ネットメディアが調査報道や権力監視など、これまで新聞などが担ってきた役割を、どこまで継承、発展できるかに注目している」と、伊藤さん。対し、村上先生は「ネットメディアでは、キーワード検索が行われる。関心のないものに、触れる機会がない。“関心のないものに関心を広げる”という受け手の行動が必要だ」と指摘。変化の過渡期にある現在、ニュースや取材の在り方について、熱い議論が交わされた。

第3部 討論「民主主義のインフラ『報道』を担うのは誰か」

 徐々に取材希薄域に蝕まれる日本。その現状を聞き、第3部では学生を交え、「民主主義のインフラ、報道は誰が担うのか」をテーマに討論が行われた。伝統メディアが廃れる中で、今後どのような対応が求められるのか。

村上先生)僕は、総合面の形態をどうやって維持するかっていう時代なのかなっていうふうに思っている。新聞に払うお金を高いと思わない人を育てるっていうじゃなきゃいけないんだと思うんです。僕の授業でも、新聞の必要性を理解した学生が何人かいて、実際に契約してくれた。そうやって、教育の中で「新聞は必要だ」と思ってもらうことが大事だと思う。

伊藤さん)これまでのように大手メディアが、全国に取材網を広げ、細かいニュースをひろうところから、権力の不正を暴く調査報道まで、全部自前でやろうとするのは限界がある。ネットをはじめ、多数のメディアがそれぞれの特性を生かして役割分担をしながら、民主主義のインフラである報道を担う時代になるのではないか。さらに、読者、世の中の人たちの声が入ってきやすい環境を作ることも重要だ。メディアと市民が双方向で、報道というインフラを共に形作る。例えば、西日本新聞が『あなたの匿名取材班』と題して、読者から来た疑問を記者が代わって取材する、というコーナーを作った。こういう取り組みも増えていくのではないか。


―― ゼミ生の感想(学年は当時のもの)

3年(11期)・浅沼優衣)講演で一番印象的だったのは、番記者と政治の関係の変化についてだ。伊藤さまが新人の頃の首相との距離はとても近かったことも初めて知った。しかし、マスメディアの力が弱くなり、政治とのバランスが崩れてしまった。監視の目も小さくなる。結果、首相はSNSをもって情報発信し、マスメディアが首相を間近で取材する機会はなくなる。現在の政治取材は、昔に比べると密度の違いが、政治と国民の関係の遠さにも影響が出ているのではないかと思った。

2年(12期)・山下諒人)講演会で出てきた「日本では取材の行き届き方がじわじわ減っている」という言葉。これらが日本の取材希薄の怖さだと感じた。アメリカのようなケースだと、その地域の取材が一気に減るため、地域住民側もその異変に気付くことができる可能性がある。しかし、日本ではどうだろうか。じわじわ減少することで、その変化に長期間気づかない、気づいたときには取材が完全に空白化してしまっている、という可能性が非常にあり得るのだ。少しでも多くの人に取材空白域を自分ゴトとしてとらえてもらい、地域全体でその地域のメディアについて考えていくことが必要だろう。

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