第4回「奇跡の V 字回復!ひたちなか海浜鉄道 途中下車の旅」

 3 月から始まった村上ゼミの新たな活動、「地方を知り、地方に学ぶ」地方ゼミ。#1 で

は、城下町としての水戸、#2 は明治維新の先駆けとなった水戸藩と志士たち。#3 では、歴史

と芸術の街である笠間を学んできた。

 #4(6 月 25 日)は、茨城で最も勢いのある都市、ひたちなか市。ネモフィラやコキアで

有名な「ひたち海浜公園」、「那珂湊おさかな市場」を有している。その中心部を走るのが、

勝田と阿字ケ浦までの全 10 駅 14・3 キロの小さな鉄道「ひたちなか海浜鉄道」。同鉄道は、

1913 年開業。海水浴客などで賑わい、ピーク時には年間 300 万人の利用客がいたが、2000

年代に入り 70 万人にまで低迷。廃線の危機にひんし、ひたちなか市と市民は官民挙げての

存続運動を行い、2008 年、市(第1セクター)と茨城交通(第 2 セクター)共同出資によ

る第 3 セクター「ひたちなか海浜鉄道」が開業した。

 市民の応援もあり、70 万人の利用客が、10 年は 78 万人と順調な回復をみせる。吉田千秋

社長はこう語る。「鉄道と沿線の活性化は表裏一体、みんなでがんばれば鉄道だけでなくま

ちも活性化できる」。

 今回は市民、自治体、鉄道の 3 視点から「地域の活性化と鉄道」を学んだ。またひたち

なか鉄道を乗り継ぎ、途中下車をはさみつつ沿線の町を訪れ、鉄道が地域を活性化させてい

ることを実感する目的もあった。「鉄道」を軸にした地域活性化。この例としてひたちなか

市を学ぶ一日となった。

 地方ゼミの案内は学内に貼り、また SNS でも案内。広くゼミ外に参加者を募っている。今

回は、人文社会科学部の 1 年生 2 人と 4 年生 1 人が参加。村上先生と 3 年ゼミ生 3 人、7 人

で旅をした。


ひたちなか海浜鉄道とは

 ひたちなか海浜鉄道は、1913 年開業。海水浴客などでにぎわい、ピーク時には年間 300 万

人の利用客がいたが、2000 年代に入り 70 万人にまで低迷。2005 年、運営する茨城交通が廃

線を表明する。

 廃線の危機に瀕し、ひたちなか市と市民は官民挙げての存続運動を行う。2008 年、ひた

ちなか市(第1セクター)と茨城交通(第2セクター)共同出資による第 3 セクター『ひた

ちなか海浜鉄道』が開業。この時、社長公募が行われ、全国初の 3 セク路面電車『万葉線』

(富山県)を再生させた吉田千秋氏に白羽の矢が立った。

 通常、ローカル鉄道は赤字解消のため運賃値上げ、利用者の少ない早朝、深夜ダイヤを廃

止する。しかし、吉田氏は、逆に年間通学定期の大幅割引(120 日分往復運賃)、5 時台、23

時台の便を新設した。これにより、親が車で送り迎えしていた高校生の通学が鉄道に変わり、

マイカー通勤のサラリーマンが「今日は飲み会、鉄道で行く」に変わった。乗って便利だと

わかると利用率はアップした。市民の応援もあり、70 万人の利用客が、10 年は 78 万人と順

調な回復を見せる。

 2021 年 1 月 15 日、阿字ヶ浦駅からひたちなか海浜公園西口付近への延伸事業の許可が下

りる。延伸計画は地方鉄道では、いまだ例がない。赤字から奇跡の回復をとげた地域鉄道と

して、市外、県外からも大きな注目を集めている。


村上ゼミとひたちなか海浜鉄道のお付き合い

 城大学村上信夫ゼミとひたちなか海浜鉄道の付き合いは、2017 年に遡る。7 月 1 日・

2 日の 2 日にわたって、海浜鉄道をテーマに、村上ゼミと立教大学砂川浩慶先生のゼミが

合同合宿を行った。

 そこで、海浜鉄道のポスター制作という課題に挑戦。撮影に当たっては応援団の皆さんに

指導いただいた。また、吉田社長をはじめ、応援団の方々、市の幹部に審査していただき、

グランプリなどの順位も決めた。出来上がったポスターは、8 月の 1 か月間、那珂湊駅構内

と列車の中に飾られた。

 この時、合同ゼミ合宿のプロデューサーを務めた 6 期・大川美波(静岡第一テレビ)と松

室花実(毎日新聞記者)は、企画書を 17 回書き直した。「17 稿伝説」は、今もゼミで語り

継がれている。この時、大川と松室は、海浜鉄道本社を尋ね、合宿への全面協力をとりつけ

た。この思い出を、「仕事に役立ったことの1つ目が、人をワクワクさせる企画を考えると

いうこと」と述べている。

 それ以来、村上ゼミのゼミコンパに出席して頂くなど、吉田社長との交流が続いている。

(1)ひたちなか市役所 企画調整課 ご講演ひたちなか海浜鉄道はひたちなか市(第 1 セクタ

ー)と茨城交通(第 2 セクター)の共同出資からなる会社。今回は、ひたちなか市でひたち

なか海浜鉄道の業務を行っている企画調整課の荻野谷友子氏に講演を行っていただいた。テー

マは、「ひたちなか海浜鉄道と市の公共交通について」。まず、市の概況から入り、ひたちな

か市の公共交通の状況、そして、海浜鉄道の取り組みという構成だった。

 ひたちなか市では、「市民の誰もが気軽に利用できる公共交通体系」の実現を目指し、3 つ

の交通形態をとっている。まずは、市内の主要な市街地を結び定時性、速達性、輸送力に優

れた交通手段を「基幹交通」、基幹交通を補い、融通性に優れた「基本交通」、市内の各地域

から日常生活に欠かせない拠点を結びながら最寄りの基幹交通へ接続する「生活交通」。ひ

たちなか海浜交通は基幹交通に位置づけ、「市の交通の要です」。


ラッキーが重なった湊線存続

 荻野谷氏いわく「(湊線の存続には)いいことが重なった」という。2005 年、茨城交通の

湊線廃線の申し入れに対し、存続させようと「湊鐡道対策協議会」が組織された。会長とな

ったのは、当時のひたちなか市の市長、本間源基氏。本間氏は、公共交通機関が大好きで、

いつも電車やバスを利用していたという。

 また、当時、茨城県内では、多くのローカル鉄道が廃止に追い込まれていた。「これ以上

は廃止にしたくない」と茨城県と国も存続運動に協力した。廃線を申し出た茨城交通でも

「どうしたら存続できるのか地元の足としての交通手段」とコンサルタントに相談していた。湊線の存続は、ひたちな

か市が中心となって、茨城交通、茨城県、国を巻き込み実現した。


地元の足としての交通手段

 令和 3 年度では輸送人員は大幅に増えたが、収入は横ばいだった。美乃浜学園駅の開業に

伴い、コロナ禍にも関わらず搬送人数が過去最高になった。ひたちなか海浜鉄道を通勤・通

学で使っている人は多い。輸送人員の半分以上を定期利用者が占めている。

 荻野谷氏いわく、「(市が出資している交通機関としては)使ってくれる人がいることが大

事」。ひたちなか市が鉄道の利用を推進しているから、市民も鉄道を利用する。そして、鉄

道が維持されるから、地域経済の発展につながる。ひたちなか市ではこのような地域活性化

の好循環が生まれているのだ。


おらが湊応援団 ご講演

 ひたちなか海浜鉄道には「おらがひたちなか海浜鉄道応援団」という地域団体がある。

2007 年、存続の危機に陥った湊線を立ち直すために湊線沿線の住民有志で構成された。存

続運動の主な担い手になり、現在も沿線を盛り上げる活動を行っている。今回の地方ゼミの

プラン作りにも協力いただいた。

応援団の応援団!?

 存続運動開始直後、市民レベルでの湊線利用促進運動が不可欠ということで、「おらが湊

鐡道応援団」が発足する。

 団長の佐藤彦三郎団長は、「鉄道会社ができないことを応援団がやっている」。SNS によ

る情報発信のほか、休日に那珂湊駅で乗車証明書の配布、沿線の清掃活動など多岐にわたる取

り組みを行っている。また、毎月団報を作成し、地元自治会を通して、地域住民に向けて活

動報告や情報記事の紹介もしている。

 おらが湊応援団には、11 もの応援団もの応援団が存在する。例えば、沿線近くの高校が

結成している「マップ応援団」(湊一高生徒会)、「はまぎく応援団」(湊二高生徒会)」。

土日を中心に那珂湊駅待合室でライブを行っている「音楽応援団」や湊線の情報を発信する

「応援団写真部」では、Facebook への毎日投稿や全国の鉄道写真家とコラボした待合室写真

展を行っている。これらはすべて、応援団のテーマである、「鉄道に関わる人数を増やす取り

組み」だ。日々、その輪を広げている。


(3)絶景スポットに途中下車

 今回の地方ゼミのもう 1 つのコンセプトは、途中下車しつつ沿線の町を訪れること。全線

を乗り継ぎながら、応援団の方々に教えていただいた各所の絶景スポットを堪能した。

終点の阿字ヶ浦では、参加者一同、道中の海に大興奮。ひたちなか市出身の参加者は「地

元に住んでるのに、こんなきれいな海があるなんて知らなかった」とつぶやいていた。

 昼食に訪れたのは、旅館「阿字ヶ浦グラフ」内にあるロビーを利用した海を堪能できるビ

ーチテラスカフェ「AziCafe」。あじ”がうらの名の通り“あじ”フライのランチメニューが

豊富。参加者全員、アジフライ丼を堪能した。

 阿字ヶ浦はパワースポットでもある。まずは「ほしいも神社」。ほし芋の生産が県内で最

も盛んなことを PR しようと、ほし芋にちなんだ神様をまつっている。「ほしいものが手に入

る神社」として、県外からも多くの人が訪れている。ここで村上先生と浅沼、御朱印をいた

だいた。

 次に、ひたちなか開運鐵道神社。ひたちなか海浜鉄道で廃車となった車両を活用している。

全国でも現存している台数が少なく、鉄道ファンから根強い人気があることに目をつけた

のだ。50 年以上、無事故で運行されたことから、交通安全や長寿などに縁起がいいとアピ

ールしている。

 秘境駅と称される中根駅はテレビ CM やドラマの撮影でも重宝されている。特に田植え

が始まる季節には、水に張った田んぼの水面に湊線を走る車両が写り込む姿は鉄道ファン

ならずとも必見。 また、駅舎には「おらが湊鐵道応援団」の応援団が植樹した早咲きの大

漁桜が咲き誇る!


(4)ひたちなか海浜鉄道 吉田千秋社長 ご講演

シャトルバス運行が成功したワケ

 ひたち海浜公園といえば、ネモフィラが有名だ。GW になると、全国から 200 万人が訪れ

る。SNS では青の花の写真が溢れて、大学の友達も訪れる人が多い。ひたちなか海浜鉄道で

も、GW には終点の阿字ヶ浦駅からひたちなか海浜公園へのシャトルバスを運行している。

この試みは、最初、各所から否定されていた。それは、ひたちなか海浜公園には、勝田駅

から向かうバスがあるからだ。鉄道とバスを乗り継ぐよりも、バス 1 本の方が使用されるの

ではないかという懸念があった。

 だが、予想を大幅に超えて、多くの人々が利用する結果になった。その理由は、ひたちな

か海浜公園を訪れる都会からの観光客は「日常的に鉄道を利用するので、鉄道の信頼性が高

いから」。地方に住む人と都会の住む人のギャップが明らかになった施策だったのだ。

スクールバスではなく、スクールトレインの時代へ吉田社長によると「いまは、スクールバス

ではなく、スクールトレインの時代」だという。

 去年、ひたちなか海浜鉄道沿線の「平磯」「磯崎」「阿字ヶ浦」の小中学校が統合されて、

義務教育学校「美の浜学園」が設立された。この学校に通う学生の多くは、ひたちなか海浜鉄

道を使って通学している。なぜ、鉄道を利用しているのか。それは、「スクールバスより鉄

道の方が安全だ」という PTA の声がきっかけだった。

 自治体にも大きなメリットがある。実は、スクールバス代はとても高い。1 年間で 800 人

の学生を輸送するとして、鉄道なら 800 万円で済むが、バスなら 6000 万円もかかる。スク

ールトレインは、市民も行政も助かる通学方法。これからの時代を担うかもしれない。

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